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「蜜汁火腿」の発明者
彭董事長(会長)は悠悠自適中だが、本店の「彭園湘菜館」は子息の彭鉄誠氏(48)が総経理(社長)として、取り仕切っている。台北はじめ台中まで七つのチェーン店がある。フランスの高級レストラン並みの雰囲気、清潔感と豪華が同居しているような「彭園」だ。鉄誠氏によると、彭長貴氏は13歳の時、中華民国の初代行政院長(首相)の譚延
の「譚厨」に入った。これが湖南菜との出会いだったというから運命は不思議だ。譚氏は湖南省の出身。父は両江総督という清朝の高官であり、譚氏自身「科挙」に合格した名門のエリート。蒋介石に見出されて、1928年(昭和3年)行政院長になった。
この譚氏が大グルメ人。政客が多く集まる譚家には「譚厨」と呼ばれる料理場があった。ここで彭氏は鍛えられた。1930年、譚氏は美食による肥満と中風のため亡くなったが、この譚氏が「美味いもの食べたい」といって、いろいろな食材をつかって、オリジナル料理を開発させた。こうしたなかで彭氏は成長していった。彭氏の料理に対する姿勢は柔軟である。例えば現在、湖南料理の代表的なディッシュとなっている「蜜汁火腿」がある。もともと彭氏の友人が「金華猪」というブタからハムをつくって、彭氏に売りに来ていた。富貴ハムといわれる上質なハムだが、真中の部分をつかい、まわりは使われなかった。この使われなかった脂身のある部分を蜂蜜で煮て、柔らかいパンに挟んで出した。センスにあふれた一皿だった。
蜜汁火腿を出したところは、蒋介石氏主催の「国宴」(国家の宴会)である。そのころアメリカ第7艦隊の司令官や幕僚たちは、この珍味をうなりながら食べた、というほど好評だった。いまでこそ、台湾では珍しくないが「銀絲巻」といわれる中国式の小型のパンがある。中味は糸状の麺線である。もともと、大型で長かった。これを一口か二口で、口に入る小型化にした。さらに蒸した銀絲巻ばかりでなく、油で揚げたものをつくった。これもまた外国人ばかりでなく、中国人からも歓迎され、広く行き渡った。
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