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1973年12月沖縄県生まれ。地元の中学校卒業後、名古屋などで自動車のメカニック業に携わり、ドラッグレース車両製作の会社に勤務した後、祖父の病気のため沖縄に戻り、ライブハウスの仕事に出合った。そこで沖縄の音楽に興味を持ち、インディーズ・バンドのプロデュース業に転向。その後、沖縄県の沖縄音楽海外市場開拓事業で台湾駐在後、昨年10月に台湾で会社「你好我好有限公司」を立ち上げて、音楽で人と人をつなごうとしている。

沖縄の音楽に目を大きく見開く
かつて「コンディション・グリーン」という、沖縄のハードロックバンドがあった。沖縄の4大ハードロックの1つといわれた伝説のバンドで、ステージ上で鶏や蛇を殺すなどの過激なパフォーマンスで、ベトナム戦争中の米兵たちの人気を博していた。コンディション・グリーンとは、米軍の緊急警報状態のことを指す。1970年代のことである。
そのメンバーの1人である、かっちゃんのマネージャーを3年ほど務めていたことがある。カッチャンは巨体に長い髭が特徴で、リーダーでボーカルを担当していて、蛇を食いちぎる過激なパフォーマーだったが、初めて会ったときにはバンドも解散していて、既に中年のいいおじさんだった。
沖縄のロックを語る上で、最もふさわしい存在といえるかっちゃんに影響を受け、沖縄の音楽、特にロックに魅かれた。知りあった時はライブハウスの皿洗いをしていたが、数年経ち、そこの店長になった時には、仕事の傍ら、かっちゃんのマネージャーにまでなっていた。そこで沖縄の音楽に大きく目を見開くことになり、音楽業界に携わることになったのである。
自らインディーズレーベル手掛ける
その後、ライブハウスで付き合った若いバンドを応援したいとの思いが強くなり、ライブハウスを辞めて、先輩とともに「オフィス仕掛人」を立ち上げる。日本全国では1998年秋から2002年まで、インディーズブームだったが、沖縄では昔から小規模なレーベルがあり、現在では個人も含めると80社もあるほどで、インディーズ・バンドが多かった。
そこで地元の若手10バンドのコンピレーション・アルバムを数枚リリース。その後、「A circle records」を設立してインディーズレーベルを手掛け、5バンドのコンサートやプロモーション活動を本土で展開した。しかし、体調を崩して1年休業。その後、商業ビルの屋上にライブハウス、クラブなどを立ち上げ、管理する業務を行うなど、活動の幅を広げようとしていた矢先、また働きすぎて休養を余儀なくされる。
その後、再びオフィス仕掛人に戻り、沖縄・MIYAKO ISLAND ROCK FESTIVALの製作チーフを務めるなどした後、2010年3月に開かれた沖縄発の都市型音楽イベント「第1回沖縄国際アジア音楽祭~musix」のスタッフとして、働き始めた。満期終了後、沖縄県の音楽海外市場開拓事業の台湾駐在の話が舞い込んだ。

台湾に駐在してから独立
台湾に通い始めたのは2006年ごろからだ。02年に日本と台湾が音楽著作権保護で提携したと聞いて、とりあえず台湾の音楽状況を見ておこうと思って訪れたが、結局、台湾に駐在するまでの間だけで、訪台は10回以上に及んだ。台湾ではライブハウスの経営者や音楽関係者と出会い、交流を深めていた。
沖縄から、インディーズのバンドが日本本土に進出するのは限界がある。将来的に沖縄と近い台湾から海外に進出する人々のサポートをしたいと考えて、2010年6月から同事業での台北駐在に踏み切った。
沖縄の音楽を台湾で認知してもらい、市場として開拓するというのが事業の目的で、音楽イベントやプロモーションを展開していたが、自らが「ジャッジ」できる立場を目指して独立した。「B to Bマッチングやエージェント業務で、人と人をつなぐ仕事をしたいと考えています」。
将来は沖縄に事業所設け故郷に還元も
まだ活動を始めたばかりだが、その手始めに原住民が主人公になっているオペラ『很久沒有敬我了你』の日本公演実現に向け動き始めた。このオペラは2010年2月26日から28日までの3日間、台北市の中正紀念堂内の国家戯劇院で開催された芸術祭「台湾国際芸祭」で上演された。
台東県にあるプユマ族の南王部落の人たちを中心とした原住民の歌と踊りと演技に、国家交響楽団による交響楽を組み合わせたもので、画期的なものだった。その後、昨年10月1、2日にも同院で上演された。音楽の記憶を探し求める物語を斬新な手法で表現した作品だ。
このほか、台湾のバンド「STAYCOOL」の日本公演を1月31、2月1日に企画したり、3月17日の沖縄国際アジア音楽祭で、原住民バンド「トーテム」のスミンを、派遣したりすることに力を注いでいる。
ここ数年、日本の多くのアーティストが中国や東南アジアなどでの公演に力を入れている。国内の音楽市場は飽和状態とみて、台湾でも数多くのミュージシャンが公演を開催しているのが現状だ。しかし、そこに割って入って、イベントを仕掛けたり、興行したりするといった行き方は考えていない。「あくまで人と人をつなぐことをやりたいんです」。
将来的には、台湾で培ったアジアの人的ネットワークをもって、沖縄にも事業所を設置し故郷に還元することも目指しているという。
音楽を通じて青木さんと知り合う
2年ほど前、初めてお会いした。沖縄なまりで話す飾り気のなさと人なつこさ。そして、ほのぼのとした温かさ。初対面でも打ち解けてしまうような柔らかなオーラが溢れている。
そのとき、「台湾で嫁を見つけようと思ってきました」という言葉が実に印象的だった。プライベートなことを暴露して恐縮だが、最近、それが実現したばかりである。
ベストセラーの台湾紹介本『奇妙ね』の青木由香さんと、昨年8月に結婚したのである。現在、青木さんはタレント・ライター活動のほかに、原住民バンド『トーテム』にものめり込んでいて、台湾の音楽に対する関心も高かった。
そこで音楽を通じて知り合い、結ばれたのだ。まさに音楽で人と人をつなぐという目標を地で行ったのである。
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