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団塊世代に台湾を知ってもらいたい
講座で日台関係セミナーを担当
駐日代表、亜東関係協会会長など歴任




淡江大学(台北市)で「台湾シニアエージ大学・短期大学」(主催・亜細亜智慧財産保護股份有限公司)が12月から開校される。日本の50歳以上の世代が台湾の大学で日台間の歴史、書、中国語を学ぶとともに、台湾文化にも触れてもらおうという講座だ。このプログラムで日台関係セミナーを担当し、講座の顧問である財団法人亜太文経学術基金会の董事長で、台北市長、内政部長、駐日代表、考試院長、亜東関係協会会長などを歴任した許水徳さんが提案したものである。そこで、その意義とともに自らが大きな役割を果たした日台関係について振り返ってもらった。



50、60代のシニア
世代にスポット

「台湾シニアエージ大学・短期大学」は、これまで日台交流の担い手だった日本語世代や、若手の間に埋もれていた、現在50、60代のシニア世代にスポットを当て、今後、日台の懸け橋になってもらおうと企画された。
主催する亜細亜智慧財産保護股份有限公司は民間だが、日台関係に長年携わっていた知日派として知られる許水徳さんが協力している。
「台湾と日本は密接ですが、これまでは(双方とも)主に年配の人だけで交流していました。今では、その人たちも少なくなりました。その次の世代である日本の50、60代の人たちは、台湾に対しての理解度が低いように思います。そこで、もっと台湾の状況を知ってもらいたい」
これまで日台関係の最前線を歩んできた許さんだから、言える言葉である。



駐日代表時代には
水を得た魚のように活躍

許さんと日本との直接的なかかわりは、1966年の日本留学にまで遡る。高雄市政府教育局から東京教育大学教育研究所に公費留学したのである。36歳だった。1931年生まれで終戦時は15歳。日本語教育を受けた世代なので、言葉には不自由しなかった。
しかし翌67年には9年制義務教育推進計画に参加するため、志半ば留学を断念して台湾に戻った。その後、誠実な人柄と実力が認められて、階段を駆け上がるように出世して、高雄市長、台北市長、内政部長を経て、1991年に駐日代表となったのである。当時の李登輝総統の信任が厚く、日本語ができる初の駐日代表だった。
許さんは日本で水を得た魚のように活躍した。駐日代表所を亜東関係協会から現在の台北駐日経済文化代表処に改名したほか、名古屋空港から台湾へのチャーター便就航を実現し、ビザ免除へ向けて尽力した。

土井・社会党員長訪台では
中国主張を逆手に取り実現

また数多くの政界リーダーを訪問して、結び付きを深め、自民党や他党との良好な関係を築いた。政界の要人の訪台に力を注ぎ、親中派の土井たか子・社会党委員長(当時)の台湾入りを実現するという困難な任務も達成した。
「土井さんは中国が反対するのではないかと心配して首を縦に振らなかったので、私は冗談半分でこうアドバイスしたんです。台湾は中国の一部であるという中国の主張通り、中国の一部である台湾に行くと言えばいいとね」
この言葉を聞いた土井さんは訪台を承諾したという。政治のロジックを逆手にとった論法である。中台の主張の衝突が露な日本では、こんな芸当も必要だったのである。

戒厳令解除後の集会やデモ
死傷者を1人も出さず

台北市長、内政部長時代には、戒厳令解除後の集会やデモに対応しなければならなかった。内政部長時代には街頭運動を専門に処理する保安総隊を設立した。あくまで警察力で対応したのである。このため在任中の6年間で抗議デモによる死傷者は出ていない。
この時、既に日本人脈を築いており、当時、内閣安全保障室長だった佐々淳行さんにアドバイスを受けていた成果である。「死者を出してはならない。軍隊は出動させず警察に任せる。そして現場に向かう前に警官に食事をさせる」という3原則だった。
93年には国民党の要である秘書長(幹事長に相当)として台湾に戻った。96年には考試院長に就任。2002年9月には亜東関係協会会長となり、2004年6月まで務めた。

大きな花を開かせた
亜東関係協会会長時代

同協会会長時代には、これまで培った日台交流の経験が大きな花を咲かせた。主に日台文化交流をサポートする文化学術技術交流委員会、科学技術交流委員会を設立。日台文化学術講演会などの開催、文化学術共同研究などを図ったのである。これまで前例のなかった地方からの台湾入りとなる広島・台北間の定期便就航を実現したほか、日台の地方都市間では初となる新竹市と岡山市の友好交流協定締結。さらに日本への卒業旅行も始めた。
そして中国の圧力で台湾での開催ができなかった天皇誕生日祝賀会を、日本交流協会主催で初めて開催させるのに、大きな役割を果たした。2003年12月に交流協会主催、亜東関係協会協賛の形で天皇誕生日祝賀会を開き、許さんは台湾を代表して祝辞を述べたのである。その後、この祝賀会は慣例となり現在まで続けられている。

「誠意を以って人に接し
何事も公平に扱う」

このように書くと、許さんの官吏人生は順風満帆だったようにみえるが、かならずしもそうではない。内政部長から駐日代表への異動に代表される、他人の目には降格、あるいは左遷と映る人事も少なくなかった。しかし許さんは常にプラス思考で楽観的に仕事に取り組んできた。
許さんは高雄市の貧困な家庭に育った。努力を重ねて教育を受けて官吏になったのである。2008年12月発行された日本語版『許水徳回顧録』の前書きのなかで、許さんは「『誠意を以って人に接し、何事も公平に扱う』という精神で全力を尽くしてきた」と書いている。そんな心掛けが道を開いてきたといえる。
現在、許さんは完全に公務から退き、今回の講座のような日台の民間交流にかかわっている。日台関係セミナーでは、許さんが中心となりかかわってきた、これまでの日台関係が語られることになり、極めて興味深い内容となりそうだ。



■台湾シニアエージ大学・短期大学

 戦後64年を迎え、日本統治時代を直接知る人たちは日台とも高齢化。このままでは日台がともに歩んだ歴史が忘れ去られてしまうとして、日本の団塊の世代を中心にして、これを「親から子」「子から孫」へ伝えるため開かれる講座。
 許水徳さんをはじめ、台湾人と日本人の専門家が教授として当たる。12月から淡江大学でスタートする。申し込みはJTB短期留学係(03-3982-6300)か大友旅行社短期留学係(03-3864-0480)。詳細については、http://www.apip-jt.com/company.aspxへ。

【略歴】
許水徳(きょ・すいとく)
1931年高雄市生まれ。14歳で母が病死。16歳で国民学校高等科を首席で卒業する。病気休学などを克服して、アルバイトで学費を得ながら高雄中学高級部を24歳で卒業。台湾省師範大学教育学部に合格した。卒業後、中学の英語教師、政治大学教育研究所大学院就学などを経て、1966年に東京教育大学に公費留学。1年3カ月後、9年制義務教育推進計画にかかわるため台湾に戻る。その後、高雄市長、台北市長、内政部長、駐日代表、国民党秘書長、考試院院長、亜東関係協会会長、総統府資政などを経て、現在に至る。2008年12月に日本語版『許水徳回顧録』を出版した。財団法人亜太文経学術基金会董事長、台湾日本研究学会理事、社団法人亜太智慧財産権保護協会名誉会長。


① 1999年4月に訪台した元・内閣安全保障室長の佐々淳行さん㊨、当時の李登輝総統(中央)とともに



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